印南祭(山口八幡祭)の祭礼行事

 

一、宵宮(よいみや)  ・・・十月一日

 山口八幡神社の氏下は広く分布しているため当社の祭礼は本祭に重点を置き、宵宮に山口八幡本社へ参拝するのは宮元の西山口のみで、他の六組はそれぞれの地元において行なう。野島の場合、昼ごろに元宮跡の青年会場前(山口八幡の石碑あり)に小字の祓井戸・加尾の両組も集合し、ここから浜辺へ行って傘揃の行事を行なう。もとは祓井戸・加尾もそれぞれの元宮跡へ詣ってから集まったといい、また、野島の傘鉾はオカサと称し小字三組とも所有しているから、中世は山口の祭りとは別個に、あるいは山口よりも以前から祭を行なっていたとも考えられている。傘揃のあと浜辺で奴踊・獅子舞があり、終わってそれぞれ地下廻りを行なうが、同様に上野・楠井も地下での行事に終始する。

 

 

 

  

 

二、本祭(ほんまつり)  ・・・十月二日

(一) 浜辺の行事

 十月二日未明(午前二時頃)、野島地区では触れ太鼓が響き渡り、氏子を起して山口へ行く支度をせよと打つ。そして御輿舁(みこしかき)の人々は禊(みそぎ)のため海へ飛び込む。午前七時、野島の浜に祓井戸・野島・加尾がそれぞれ屋台を担いで集まり、奴踊りと獅子舞を舞うが、この時の獅子は三組とも行なう。野島の浜での行事は約一時間で、八時頃、三組の屋台を付近へ預け、大幟を先頭に組の大道具の屋台を担いで出発する。

  

 

 

(二) 屋台の出迎え

 昭和60年頃までは、野島・上野・楠井・津井の各組は屋台・幟を担いで、印南浜までの約10キロの道のりを歩いて向かった。

 野島の行列が上野の村境いまで行くと、そこには上野の屋台をはじめ一同が迎えに出て来ている。次いで野島・上野の二組が楠井境いへ行くと同じく楠井の屋台が出迎えてきており、三組が揃って印南町の津井へ行き、津井の屋台の出迎えをうける。津井の浜付近で少憩の後、印南境いへ向けて出発するが、ここから四組とも幟を指して行く。印南へ入ると浜の屋台が、そして地方(あげ)も町内の札場でせり合いをして一もめも二もめもするのが通例であった。

 しかし、現在では自動車の交通量が多くなった国道を避けるため、野島・上野・楠井・津井の四地区はトラックに屋台・幟などを乗せて、印南浜まで行くようになった。

 印南町の札場を通り、印定寺へ入った六組は屋台を預け、ここから傘鉾(おかさ)と額(がく)と幟(のぼり)を持って山口八幡神社へ向かう。

 

 

 

(三) 神前式

 山口八幡本社へ参入するのは地元西山口のみで、他の六組は幟である。神前式に参列するのは氏子総代など重立った人々で、若い衆や一般の氏子は境内で御輿の出御を待つ。この間、各組は幟を中心に円陣を作って奴踊り、ケンケン踊り(地方)を奉納する。

 

(四) 御渡り

 昼前、御輿を中心に御渡りが始まる。御輿舁(みこしかき)は神社勧請の由緒に基づいて野島地区から20人(野島10人・祓井戸5人・加尾5人)と、上野から梅田の宮の由緒によって梅田氏の末裔1人の21人が勤める慣わしで、野島の20人もすべて仮家氏の一族またはその株を借りた人たちである。

 御輿の出御にあたり、前出仮家氏の子孫が唱詞を唱えたのち「お立ち」と三度繰り返さなければ出発できない。

 

  ちなみに仮家氏の唱詞は次のようである。

 

    男山、男山、男山、

    栄える御代は久方の、久方の、

    月は雲らじ、秋は最中なるらん、

    神まつる、神まつる頃はいつかなるらん、

    いつかそうろう、いつかそうろう、

    いつもおも影、影見れば、影見れば

    三五や中の月は、今宵なるらん、

    お立ち・・・・・

 

 

 〜男山(おとこやま)にて〜

 

 御渡りの先導は地方(あげ)の雑賀の屋台が勤め、各組が一斉に「幟起し」をはじめる。西山口の屋台は御渡りに加わらず、氏子の人たちは弓や刀などお道具(神具)を奉じて供奉するがこの役も世襲の家筋である。

 御輿は途中の男山において休息する。出発にあたって再び仮家氏が「お立ち」と唱えるが、この場所では二回である。

 梅が坪の茶屋跡に差し掛かると今度は湯川氏の当主が翁(おきな)の面を被って出迎え、粢(しとぎ)餅を供える。これは、由緒に記述の「遠来の神様」が、山口への途次、この茶屋に立ち寄られたという謂れによるためである。この粢餅を、以前は御輿舁(みこしかき)たちが奪い合いしたが、今は御輿宿で分けるようにしている。

 

 印定寺からは各組の屋台がお供をするが、先導はやはり地方(あげ)の雑賀屋台で、他はくじによって順番をきめるのが通例である。御渡り道は印南の町中の狭い旧道で札場というが、ここが屋台の力競べの場所で、お互い先を行こうと激しいせり合いをする。そのため祭になると両側の民家は家を壊されないように丸太などを組んで防壁を作っている。札場でのせり合いが約一時間(昔は一刻二時間)続いた後、行列はやっと浜のお旅所に到着する。

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(五) 神賑行事

 お旅所は印南川右岸の浜辺で、お仮屋を設けて御輿を安置する。神事が終わると各組の神賑行事が始まるがここでも地方(あげ)のケンケン踊り(雑賀踊り)が一番である。名田三組はいずれも奴踊りと獅子舞を奉納するが、楠井は「耕作立願踊」と称している。もっともこの名称は後になって付けたものである。

 獅子は二人立ちで鬼がからむが獅子アヤシという程でもなく、流儀も伝来も不明である。その内容ははじめに獅子が遊んでいる、蝶を追う、米(餌)を拾う、再び遊ぶ、寝獅子などを表現し、寝獅子の時に若い衆が唄を歌う。野島の唄は「お前は浜のお役所(お百姓)か」・「一つ熊野のオンデ町」・「高い山から」・「ネンネオコロリヨ」などで、獅子が起きる時に「お江戸の町で金拾て 獅子(刀)を買おか 刀を買おか 女郎を買おか 刀を買おて腰に差す ソラヨイトコセ」と歌う。獅子舞の中で唄を歌うのは明らかに伊勢太神楽の影響が見られるが、流派としては別のものである。獅子が舞い終わると若い衆たちが駆け寄って、舞い手と太鼓叩き(打ち廻し)の子供を胴上げする。

 

 

(六) 還御

 お戻りは御輿を送って印定寺まで行くのであるが、各組は帰路が遠いので札場をちょっと入ったところから引き返し、各地下に戻る。そして、地下廻りをして宿へ帰って祭を終わる。

 

 

文献「御坊市史」より。

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